2016年 03月 08日
教えて、そして教えられて
今回の岡山バイタルにて、
休憩時間がゆっくりたっぷりあったからなのか、それとも、踊り続けてきたことで機が熟したのか。
シェアタイムというあらたまったかんじではないとき、あちこちでぽろぽろといろんなお話が出てきて、
そのかんじがとてもよかったのでここに書きとめておこうかな!!と思いました。
聞かれて答えることで気づくことがいっぱい。
こうして書き起こして、また気づくことがいっぱい。
ありがたいです。
ちょっとエラソーに答えてるところもあり、
そして、記憶だけに頼っているので、聞き間違いや勘違い、ニュアンスの違いなどなど
多々あるやもしれませんが、どうぞ優しく受け止めてね。^^
***********
「Mさんは、踊っているときにものすごい怒りが出てきた、と聞きました。でも、わたしは怒りより悲しみが出てきました。そこまで深く到達できませんでした。」
「怒りと悲しみ、どっちが手前でどっちが奥とか、比べられないことだと思うよ。」(Mさん)
「バイタル踊っていると、感情のふり幅が大きくなる。感じないようにしてきたものが感じられるようになってくる。喜びだけじゃなく、悲しみも、怒りも。」
「いい、悪い、うえもしたも、浅いも深いもなくて、それはぜんぶ純粋なエネルギー。」
「パトリシアは、それを、人や自分に見境なくぶつけるんじゃなく、かといってコントロールするのでもなく、”マネージメント”する。デザインする。それをみんなで学んでいるんだよって。」
・・・・・・・・
「踊っているとき、安心感で涙がいっぱい出ました。そしたら、自分がこれまでどれだけ不安でいっぱいだったんだろうか、ってちょっと思いました。」
「安心感を感じられたこと、涙がいっぱい出てよかったよねー。不安がいっぱいあったことにフォーカスしないでいいんじゃない (っていうか、そこ気づけてよかった!)」
「不得意科目を頑張るように習ったせい。たぶん得意科目を頑張るほうが早いよね」
「だけど、完璧を目指さないこと。理想を持たないこと。自分を責めたり、反省したりしないこと。」
「だねー」
・・・・・・・・・
「これまで、ほかのダンスを踊ったことはあるのだけど、バイタルダンスはまったく違う切り口で、正直ぜんぜんわかりませんでした。ひとに、バイタルダンスってなに?と聞かれても、よくわからない、説明できないと言うのがいまの正直な感想です。」
「正直でいいと思います!ダンスってなに?という捉え方、価値観は人それぞれなので。」
「自由に踊るって難しいよね。」
(わたし、昔、自由に気持ちよさそうに踊ってる人に、馬鹿みたいだったわよ、って言ったことある!数年後に自分がそれをするなんて思ってもみなかった!!!人生って不思議)
・・・・・・・・・
「手をつないで歩くというエクササイズのとき、相手がとても動きづらい、自分にはない動きになったとき困る。
でも、今日は、いっしょにやってみたらそこからがおもしろかった。」
「起こることをコントロールしたい、望むようであって欲しいって思うのは当然。気持ちよく踊りたいし、気持ちよくリズムに乗って歩きたい。でも、人とかかわるってことは、自分とは違う価値観と出逢うってこと。そのときに、無理だなあ、いやだなあって自分を閉じることも出来るし、うーーん、わかんないけどいっしょにやってみたらどうなる?ってトライすることもできる。」
・・・・・・・・・・・
「どんな音楽でもかまわず、とにかくいてもたってもいられずに踊りたくなるときと、どんなに好きな曲でもぜんぜん踊れないときがあるのはなんでだろう??」
「これが好き、これが嫌い、そのときの気分が、いい、悪い、そういうことを繊細に感じられるってとっても素敵だと思う」
「でも、それが自分をあるときは条件付けて、狭めて、守っている?しばっている?と感じられるときには、ちょっとそれを広げてゆるめてみてもいいかも。自分が知っている自分は、けっこう小さく見積もってることが多いから。」
・・・・・・・・・・・・
「ここはこうするべきよね、と思ってもできないときは?」
「悲しい気分のとき、悲しい自分をそのまま認めて抱きしめてあげることはとってもだいじ。だけど、それ、ずっとやっていたいか?っていわれたら、もう変わってるかも。」
「楽しい気分で歩いてみて、って言われて、できんわ!いまそんなの!っておもったらそれもOK! でも、ためにしやってみたらどうなる? って思ったらやってみたらいい。予想してないことが起こるかもしれん。し、起こらんかもしれん。けど、それがおもしろい」
・・・・・・・・・・・
「答えはどこに?ってずっとさがしてやってきたけど、ただしい答えなんてどこにもなくて。」
「なんで自分はいきてるんだろうってずっと知りたかったけど、そんな答えわからなくても、いままさにイキテルじゃん!って思った」
・・・・・・・・・・・
「笑いすぎて、バイタルの後はほっぺたが筋肉痛になることがある」
「自分、普段どれだけ仏頂面で生きてたかと思った。そりゃあ幸せも逃げるわなあ」
・・・・・・・・・・・
「花になって蝶を待ってるとき、自分がどれだけさみしがりなん?って気づいた」
「わたしは、昔これやったときは、目を閉じているのに触れてくれる人がだれだかわかるなあ、とか、自分もあんなふうに触れることができたらいいなあ、とか、そんなことを考えていた。」
「でもあるとき、花になっていると蝶が来てくれない瞬間に、不安や寂しさ、孤独がやってきて、でも、しばらくしたら、誰が見つけてくれなくても、わたしはわたしの花を咲かせようってしゃんとして、自分の花のダンスを楽しんでいたら、たくさんの蝶がいつのまにか来てくれていた。」
「段階がある。最初は考えることの方が優勢。そして次第に感じることが増えてきて、それからそれに気づくことが増えてくる。」
「自分がどれだけ自分や人や起こることを、いい、わるいとジャッジして、自分を責めたり、人を見下したりしているか。気づくと愕然とするけど。しょーがない、人間だもの、って思う!」
・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
なんだろう。
あったかかったなあ。
楽しかったなあ。
やり取りのすべてが、いま思い出しても愛おしいです。
そして、やっぱり新しい扉が開いたように思う。
写真はまぼろしのチャイヤ。
主催のマイチャンと原さんとアフターミーティングに行きかけて。。。行きませんでした!笑
そこからの、カフェマイマイでのまったり時間も、懐かしいベーグルも、
韓韓亭のライブも、ホルモン鍋も、最高でした!!
ありがとう、岡山。
また夏に!!
休憩時間がゆっくりたっぷりあったからなのか、それとも、踊り続けてきたことで機が熟したのか。
シェアタイムというあらたまったかんじではないとき、あちこちでぽろぽろといろんなお話が出てきて、
そのかんじがとてもよかったのでここに書きとめておこうかな!!と思いました。
聞かれて答えることで気づくことがいっぱい。
こうして書き起こして、また気づくことがいっぱい。
ありがたいです。
ちょっとエラソーに答えてるところもあり、
そして、記憶だけに頼っているので、聞き間違いや勘違い、ニュアンスの違いなどなど
多々あるやもしれませんが、どうぞ優しく受け止めてね。^^
***********
「Mさんは、踊っているときにものすごい怒りが出てきた、と聞きました。でも、わたしは怒りより悲しみが出てきました。そこまで深く到達できませんでした。」
「怒りと悲しみ、どっちが手前でどっちが奥とか、比べられないことだと思うよ。」(Mさん)
「バイタル踊っていると、感情のふり幅が大きくなる。感じないようにしてきたものが感じられるようになってくる。喜びだけじゃなく、悲しみも、怒りも。」
「いい、悪い、うえもしたも、浅いも深いもなくて、それはぜんぶ純粋なエネルギー。」
「パトリシアは、それを、人や自分に見境なくぶつけるんじゃなく、かといってコントロールするのでもなく、”マネージメント”する。デザインする。それをみんなで学んでいるんだよって。」
・・・・・・・・
「踊っているとき、安心感で涙がいっぱい出ました。そしたら、自分がこれまでどれだけ不安でいっぱいだったんだろうか、ってちょっと思いました。」
「安心感を感じられたこと、涙がいっぱい出てよかったよねー。不安がいっぱいあったことにフォーカスしないでいいんじゃない (っていうか、そこ気づけてよかった!)」
「不得意科目を頑張るように習ったせい。たぶん得意科目を頑張るほうが早いよね」
「だけど、完璧を目指さないこと。理想を持たないこと。自分を責めたり、反省したりしないこと。」
「だねー」
・・・・・・・・・
「これまで、ほかのダンスを踊ったことはあるのだけど、バイタルダンスはまったく違う切り口で、正直ぜんぜんわかりませんでした。ひとに、バイタルダンスってなに?と聞かれても、よくわからない、説明できないと言うのがいまの正直な感想です。」
「正直でいいと思います!ダンスってなに?という捉え方、価値観は人それぞれなので。」
「自由に踊るって難しいよね。」
(わたし、昔、自由に気持ちよさそうに踊ってる人に、馬鹿みたいだったわよ、って言ったことある!数年後に自分がそれをするなんて思ってもみなかった!!!人生って不思議)
・・・・・・・・・
「手をつないで歩くというエクササイズのとき、相手がとても動きづらい、自分にはない動きになったとき困る。
でも、今日は、いっしょにやってみたらそこからがおもしろかった。」
「起こることをコントロールしたい、望むようであって欲しいって思うのは当然。気持ちよく踊りたいし、気持ちよくリズムに乗って歩きたい。でも、人とかかわるってことは、自分とは違う価値観と出逢うってこと。そのときに、無理だなあ、いやだなあって自分を閉じることも出来るし、うーーん、わかんないけどいっしょにやってみたらどうなる?ってトライすることもできる。」
・・・・・・・・・・・
「どんな音楽でもかまわず、とにかくいてもたってもいられずに踊りたくなるときと、どんなに好きな曲でもぜんぜん踊れないときがあるのはなんでだろう??」
「これが好き、これが嫌い、そのときの気分が、いい、悪い、そういうことを繊細に感じられるってとっても素敵だと思う」
「でも、それが自分をあるときは条件付けて、狭めて、守っている?しばっている?と感じられるときには、ちょっとそれを広げてゆるめてみてもいいかも。自分が知っている自分は、けっこう小さく見積もってることが多いから。」
・・・・・・・・・・・・
「ここはこうするべきよね、と思ってもできないときは?」
「悲しい気分のとき、悲しい自分をそのまま認めて抱きしめてあげることはとってもだいじ。だけど、それ、ずっとやっていたいか?っていわれたら、もう変わってるかも。」
「楽しい気分で歩いてみて、って言われて、できんわ!いまそんなの!っておもったらそれもOK! でも、ためにしやってみたらどうなる? って思ったらやってみたらいい。予想してないことが起こるかもしれん。し、起こらんかもしれん。けど、それがおもしろい」
・・・・・・・・・・・
「答えはどこに?ってずっとさがしてやってきたけど、ただしい答えなんてどこにもなくて。」
「なんで自分はいきてるんだろうってずっと知りたかったけど、そんな答えわからなくても、いままさにイキテルじゃん!って思った」
・・・・・・・・・・・
「笑いすぎて、バイタルの後はほっぺたが筋肉痛になることがある」
「自分、普段どれだけ仏頂面で生きてたかと思った。そりゃあ幸せも逃げるわなあ」
・・・・・・・・・・・
「花になって蝶を待ってるとき、自分がどれだけさみしがりなん?って気づいた」
「わたしは、昔これやったときは、目を閉じているのに触れてくれる人がだれだかわかるなあ、とか、自分もあんなふうに触れることができたらいいなあ、とか、そんなことを考えていた。」
「でもあるとき、花になっていると蝶が来てくれない瞬間に、不安や寂しさ、孤独がやってきて、でも、しばらくしたら、誰が見つけてくれなくても、わたしはわたしの花を咲かせようってしゃんとして、自分の花のダンスを楽しんでいたら、たくさんの蝶がいつのまにか来てくれていた。」
「段階がある。最初は考えることの方が優勢。そして次第に感じることが増えてきて、それからそれに気づくことが増えてくる。」
「自分がどれだけ自分や人や起こることを、いい、わるいとジャッジして、自分を責めたり、人を見下したりしているか。気づくと愕然とするけど。しょーがない、人間だもの、って思う!」
・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
なんだろう。
あったかかったなあ。
楽しかったなあ。
やり取りのすべてが、いま思い出しても愛おしいです。
そして、やっぱり新しい扉が開いたように思う。
写真はまぼろしのチャイヤ。
主催のマイチャンと原さんとアフターミーティングに行きかけて。。。行きませんでした!笑
そこからの、カフェマイマイでのまったり時間も、懐かしいベーグルも、
韓韓亭のライブも、ホルモン鍋も、最高でした!!
ありがとう、岡山。
また夏に!!
by kokenomori
| 2016-03-08 11:58
| Let's Dance!